地域の概要

地域の概況

   西辺中学校の校区は、西原の集落を中心にして福山、大浦の三つの集落で形成している。
 福山は歴史をたどると、1873年(明治6年)まで、島尻の区画にあったが、明治7年に西原村がつくられ、西原の一員になった。1937年(昭和12、13年)頃、土地改良事業によって付近に散在していたピンフ、山川、棚福、トゥシガーの小さな部落が寄り集まって福山集落が誕生し、1964年(昭和39年)に旧大野越集落が新たに加わりました。集落は標高95mのピンフ嶺の麓に広がり、伊良部島を見渡すことができる風光明媚で、施設園芸などの農業が盛んである
 大浦は、宮古島では珍しく湾と濃い緑の丘が見られる美しい環境である。その昔、1741年頃、付近に散在していた民家と、狩俣住民の一部が加えられ村立されたと言われている。この地域で注目されるのは、大浦多志城(ウフ゜ウラタスシ゛ョウ)である。言い伝えによると、城は唐人の手で築かれたと言われ、沖縄でも注目される城と評価されている。この集落の敬老会には、出身者が沖縄本島や他府県から駆けつけ盛大に催される。
 西原は、1874年(明治7年)池間島から移住した人々によってつくられた比較的新しい集落であ る。西原の由来は、当初、池間島の子孫を意味して「池枝」と称することになった。ところが、当時の検使の随行だった西原親雲上が自分の名前を付けてほしいとの要望で命名されたという。集落の旧番所(フ゛ーンミャー)跡の旧公民館で1974年(明治49年)10月1日に西原創立100周年の記念式典を開催し、一角に巨大な石碑も建立され、史実を固く刻んでいる。ここは、祭祀を重んじ村の司母(ツカサンマ)によるニガイが年間48回もある。その他、集落最大の行事であるミャークヅツをはじめシーブ、フッビューイ、ウチャナク等といったおくゆかしい儀式も続いている。また、目に見えないユイマール精神の原風景があり、古風的で素朴な一面も魅力的である。
 

地域の特色

   三つの集落は、ぞれぞれ個性があり全体的に団結心が強く相互扶助の精神も旺盛である。人柄は、明朗闊達で進取の気性に富み度量も広い。地域ぐるみでスポーツを好み、特に、長距離走において宮古を代表する選手も輩出している。さらに、年寄りの組織である「みどり会」も活発であり、信仰心が人一倍で伝統的な行事も数多い。
毎年、秋には西辺学区老人運動会があり、各支部代表による競走や演技も高く評価されている。一方、1971年(昭和46年)に設立した西辺学区体育協会も陸上競技や野球、バスケットボール競技等でにぎわいを見せている。教育熱心で学校に対する協力にも積極的である。

 

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